東洋紡バイオ財団が支援する海外への挑戦 ~研究者の未来を拓く~


ハカセ
オー太くん、公益財団法人 東洋紡バイオテクノロジー研究財団を知っていますか?

オー太
そら、そうやん! 1982年にTOYOBOが創立100周年を迎えたことを記念して設立された財団だよね。

ハカセ
その通り! バイオテクノロジー分野における学術的な調査や研究開発を助成、促進し、その成果を通じてより高度な文明社会の創造に寄与することを目的にしています。

オー太
バイオテクノロジーは、生物がもっている性質や優れた機能を利用して、暮らしや医療、環境保護に役立てる技術のことだよね。

ハカセ
TOYOBOがいち早く研究してきた分野であり、設立当時、バイオテクノロジーに関する財団は珍しいものでした。

オー太
東洋紡バイオテクノロジー研究財団はこれまでに延べ約500名(2025年現在)の研究者に助成金を支給し支援してきました。

ハカセ
今回、まず前半では東洋紡バイオテクノロジー研究財団の成り立ちと、これまでどのような活動・助成を行ってきたかを紐解いていきます。

オー太
後半では、財団の助成を受けて海外留学し、現在は理化学研究所 生命機能科学研究センターでご活躍の林 茂生(はやし しげお)先生にお話を伺います。

ハカセ
林先生は現在、東洋紡バイオテクノロジー研究財団の理事としても財団の活動をご支援いただいていマス。

オー太
じゃあ、さっそくいってみよう!
Index目次
東洋紡バイオテクノロジー研究財団とは?
財団の成り立ち

ハカセ
公益財団法人 東洋紡バイオテクノロジー研究財団(以下、東洋紡バイオ財団)は1982年、東洋紡創立100周年を記念して、当時の社長である宇野 収(うの おさむ)さんが設立を発表しました。


オー太
宇野さんは後に関経連(関西経済連合会)会長となり、関西経済の活性化にも尽力されましたね。

ハカセ
そうデスね。

オー太
設立の目的は、バイオテクノロジー分野における学術的な調査や研究開発を助成、促進し、その成果を通じてより高度な文明社会の創造に寄与することです。

ハカセ
いや、それさっき私が言いましたよ。

オー太
(笑) 理事長には宇野さん、理事には東京大学医学部教授など13名が就任されました。
初期の活動

ハカセ
設立当初はシンポジウムや研修会などの啓発活動が行われていました。
第1回(1982年)のシンポジウムのテーマは「生命と情報-DNAレベルにおける遺伝子病の診断と治療の可能性」で、その後も時代性に即したテーマが取り上げられ、大きな関心が寄せられました。

オー太
東洋紡バイオ財団設立25周年(2007年)には「次世代へのメッセージ『生命科学-世界に羽ばたいた若手の歩み』」をテーマに記念のシンポジウムが開催されました。


ハカセ
シンポジウムの準備委員長は、後にノーベル生理学・医学賞を受賞された本庶 佑(ほんじょ たすく)先生デス。

オー太
本庶先生には財団理事をお引き受けいただいたこともあります。東洋紡バイオ財団は日本の最先端・超一流の学者の皆さまに支えられています。
研究助成活動

ハカセ
1999年からは主に研究助成を中心に活動し、現在は長期に海外留学する研究者への長期研究助成を行っています。


オー太
多くの若い研究者が東洋紡バイオ財団の留学支援を通じて、世界のバイオテクノロジー発展のために活躍されていることは、とても嬉しいことだね。

ハカセ
その通り! それこそが東洋紡バイオ財団の目的デスからね。

オー太
この後は東洋紡バイオ財団の長期研究助成を受けて、アメリカのコロラド大学へ留学された林先生のお話を伺いましょう!

ハカセ
実際に助成を受けた若き研究者がどのような留学をされたのか、その後どのような研究をされているのか、興味深々デス!
東洋紡バイオ財団助成受贈者 林先生
林先生のご紹介

昆虫好きだった少年が分子生物学の道へ

オー太
林先生はどんな子どもでしたか?
林:家の近くでいろんな昆虫を採集しては、ずっと観察している子でした。買ってもらった昆虫図鑑を丸暗記してましたね。

ハカセ
ほぉー、私も図鑑が大好きです!


オー太
その頃から、生物学に興味を持ったのですか?
林:いやいや、中学・高校時代はまったく。大学でも最初は物理学を学んでいました。物質の起源を掘り下げて原子の構造を解き明かすことに興味があったので。
でも大学1年のときに、図書館で遺伝子の仕組み(DNA)が明らかになったという記事をみて、生物の本質を追求するのもおもしろそうだなと思ったのです。

ハカセ
アメリカ留学はいつ頃から考えだしたのですか?

林:博士後期課程2年のときに、指導教官から「君は海外留学しなさい」と薦められたのがきっかけです。当時は京都大学の生物物理学教室にいたのですが、学位をとって海外の研究室へポスドク(※2)として留学するケースが増えはじめた時期でした。
私としても子どもの頃、父の留学に家族で付いていった経験から、いつかは留学したいと思っていたので「望むところです!」となったわけです。
(※2)ポスドク(Postdoctoral Researcher)とは、博士課程修了後に研究機関や大学で一定期間、研究に従事する研究者
東洋紡バイオ財団との出会い

オー太
インターネットもない時代に、どうやって留学先を見つけたんですか?

林:まず自分が希望する3つの条件に合う研究室を探して、直接手紙を書きました。
条件というのは、
- ホメオボックス(※3)遺伝子の発見で沸き立っていた、ショウジョウバエの分子遺伝学をやりたい
- アウトドア派の自分の生活スタイルが活かせる街に行きたい
- これから伸びていく若いPI(※4)と仕事をしたい
しばらく返事もなく忘れかけていた頃に、いきなり電話がかかってきた。コロラド大学のMatthew Scott博士(以下Matt)という人物で、「君を受け入れたいと思っているが、研究費に余裕がないので、留学資金は自分で確保してください」と。
(※3)多細胞生物の発生を調節する重要な遺伝子群
(※4)PI(Principal Investigator)とは、研究プロジェクトや研究室を主導する主任研究者


オー太
アメリカではそういうスタイルが多いんですか?
林:そうですね、先方にとっては投資ですから、結果を出せない研究者は1年でクビになるのが当たり前。それでも、1年間の受け入れ先が見つかった以上、なんとしても研究留学を実現させたい。資金援助してもらえる方法を必死で調べました。

ハカセ
そこで出会ったのが、東洋紡バイオ財団だったんデスね。

林:当時はまだ留学を支援してくれる企業や財団はほとんどなくて、私が調べた限りでは東洋紡さんだけだった。しかも、助成金の用途に制限がないことも大変助かりました。実際には、研究費だけでなく生活費も必要ですからね。「自由にやりくりしてください」と、現地のポスドクの最低賃金を上回る資金をご提供いただいた。そこから学位取得後、妻とともに片道切符で飛び立ちました。1987年4月1日のことです。
留学先で出会った人たち、それが何よりの財産

オー太
海外留学をして一番良かったことは何ですか?
林:留学によって得たことは山ほどあるけれど、一番はボスのMattに出会えたことです。彼は幅広い知見と人脈を持ち、ラボのメンバーに多くの人脈を繋いでくれました。


林:学会へ行っても「Mattのラボだ」と言えばサークルの中に入れてもらえたり、貴重な知り合いができて現在も関係は続いています。
今ではトップに上り詰めた人たちもいますが、互いに駆け出しの頃を共有した者同士、今でもフランクに話せたりする。何よりの財産だと思っています。


ハカセ
林先生は、そこでどんな研究をしていたのですか?

林:たとえばハエには、足3対と触覚と口がありますよね。それぞれが匂いを感じたり歩いたりという機能を持っているけれど、それらの発生段階でスイッチとなる遺伝子があるんです。スイッチをパチパチと組み合わせることで、足になったり触覚になったりする(アンテナペディア)(※5)。
それを発見した一人がMattだったのですが、そのスイッチの仕組みを調べる(※6)というのが私の役割でした。
(※5)アンテナペディア(Antennapedia)は、ショウジョウバエにおけるホメオティック遺伝子の一種
(※6)ホメオボックスタンパク質が転写調節因子であるというアイデアの検証

ハカセ
今ではその研究が再生医療や遺伝学、発生生物学などに生かされているのですね。

オー太
今もその研究を続けているのですか?

林:いま研究しているのは、昆虫の体の表面構造について。たとえば、コガネムシの虹色、アゲハチョウの羽の模様。あれはペンキで塗るように着色しているのではなく、ナノレベルの小さな孔があって、太陽光の特定の波長だけを反射するから色がついているように見える。それを構造色といいますが、他にもいろいろある。触覚には匂いの分子だけを通す孔があったり、目の表面には水をはじく孔や光を反射しない突起があったり。
昆虫の体は、基本的に固い甲羅のようなもの(クチクラ)で覆われているのに、必要なところにだけ必要なサイズの孔が作られているんです。今はそれらがどうやって作られるのかを研究しています。

オー太
昆虫ってすご~い。

林:おもしろいでしょ? そういった昆虫たちのすごい能力を解き明かしていくと、高度なバイオマテリアル構造がわかってくる。すでに、さまざまな工業繊維やフィルム構造などに活用されているんですよ。

ハカセ
それがバイオテクノロジーなんデスよね~。

オー太
日本とアメリカの研究室は、どんなところが違いますか?
林:野心家のポスドクが多くいました。研究レベルでは大きな差はないけれど、ゴールを明確にすること、戦略的に動くという点で非常に長けているなと感じました。

海外留学で得た大事なこと

オー太
今はネットでつながる時代になったけど、海外留学する価値って何だと思いますか?
林:異なる文化を背負った人たちがどのような考え方をするのか、身をもって体験できることかな。自分の世界が大きく広がると思います。
科学研究というのはコスモポリタンな行いだから、自分の狭い世界のなかでじっくり考えることと、その考えを広く世界に問うこと、その両立が必要です。そこにさまざまな価値観をもつ友人やライバルの存在があることで、自分を大きく高めてくれる。


ハカセ
たしかにそうデスねー(ウルウル)。

オー太
留学して変わったことはありますか?
林:もともと好奇心は強かったのですが、留学先でいろんな人たちに出会うことで、さらに積極的になったかな。
それから、ロッククライミングの腕もあがりましたよ(笑)。ずっと憧れていた山々はすべて登りました。ヨセミテ峡谷の北側に高さ約1,000mの「エル・キャピタン」という崖があってね、そこも制覇しました。「エル・キャピタン登ったんだぜ!」と自慢できる名所です。


オー太
1,000mの崖って(汗)、怖いとは思わないのですか?
林:もちろん危険ではあるけれど、危険に対処する方法を学んでいるから、そこも含めて楽しみます。危険をコントロールできると自分でわかっているからね。

ハカセ
それは研究活動においても、同じマインドですか?
林:そうですね、研究でも失敗することはあるし、最悪クビになることだってあります。でも、多少の失敗なら取り返せばいいことで、また別の可能性を見つけたらいいんです。


オー太
そっか、失敗を怖がってはいけないのですね?
林:まず、失敗を成功へのステップとして捉えることが大切です。研究は多数ある可能性を一つ一つ検証する作業です。予想通りにいかない実験結果は可能性の一つをつぶせたと考えれば、一歩前進になります。失敗したことで自分を責めることのないように親や上司は見守るべきだね。

ハカセ
なるほど~、物事をどう見るかで行動も大きく変わりますよね。
林:そうですね。東洋紡バイオ財団のご支援でコロラドへ渡り、自分の価値観を大きく超えるような出会いが数多くありました。その貴重な経験が今の自分をつくっていると思います。

ハカセ
海外留学時代の経験が今につながっているのデスね。

オー太
林先生、どうもありがとうございました!
東洋紡バイオ財団はこれからも若き研究者を応援します!

ハカセ
とても興味深い話ばかりですっかり長居しちゃいましたね。

オー太
昆虫の構造が、工業繊維やフィルム構造に応用されているなんてビックリだよ。

ハカセ
東洋紡バイオ財団は当時の林先生のような若き研究者を長年支援し続けていて、助成を受けた研究者の多くが各大学や研究機関で重要な職責を務められていマス。

オー太
これからも若き研究者を支援していくことで、バイオテクノロジー研究発展の一翼を担っていくことでしょう!
インタビューこぼれ話
~林先生の留学先、コロラドってどんなとこ?~
コロラド州ボルダーは標高1,500mの高地にあり、周囲には4,000mを超える「フォーティーナーズ」と呼ばれる山々が連なります。山好きの林先生は、山登りやスキーが盛んなその環境に惹かれて留学先に選びました。ボスのMattも本格的なクライマーで、なんと初日から「まずは山へ行こう」と、ロッキー山脈の3,000m級の山に連れていかれたそうです。

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by TOYOBOとは
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TOYOBOの体温とは、世の中の課題解決に挑むTOYOBOで働く人々の日々奮闘する様子やプライドを持って働く熱意です。 なかなか世の中に出ない製品誕生の裏側から、TOYOBOで働く人々の日々のコミュニケーションや暮らしなど、関係者の体温がこもった「声」をお伝えします。
林 茂生(はやし しげお)先生
1986年バイオ財団の助成金支援を受け、翌年コロラド大学へ留学。
理化学研究所 生命機能科学研究センター 客員主幹研究員。
大阪府出身。山登りや自転車などアウトドアが大好き。